B.B.キングC〜ライヴ前のハプニング


B.B.キングが乗ったエレベーターのドアが閉まるのを見届けあと、
私たちはすぐ隣のエレベーターに乗った。
乗り合わせたのは、黒人男性二人と私、叔母の4人である。
とばくちにいた男性が先にボタンを押し、
私が続いて押そうとしたら、
彼は愛想よく「ハロー」と言った。
その男性はテイク・アウトらしき料理を両手で大事そうに持っており、
フレンドリーな様子で
「日本から来たのですか?」と尋ねてきた。
 
私はすぐに、
「そうなんです!B.B.キングのライヴを見るために日本からやってきました。」
と少しテンションを上げて答えたら、
彼は「スゴイ!本当に?」と嬉しそうな顔をしたので
「ええ。私はブルースが大好きで、
たくさんのブルースマンの名前を知っています。
でもBBは別格です。
私はブルースマンの中でBBが一番好きです!」と言った時、
エレベーターの扉がスッと開いた。
 
ロビーがある4階に着いたためである。
私が笑顔で「さようなら!」と言いながら彼に背を向けて降りようとした瞬間、
慌てて彼は私を呼び止めた。
そして上着のポケットに手を入れて何かを取り出しながら
「これを君にあげるよ!素晴らしい夜になるといいね」と笑みを湛えながら
私に手渡してくれたのである。
 
私はそれを見て驚いた。
それはビニール袋に入ったB.B.キングのバッジだった。
BBが胸につけているものと同じ型で、まだ封は切られていない。
私は「ありがとうございます! 本当に嬉しいです!!」
と扉の向こうに消えていく
笑顔に向かって心からお礼を言った。
 
まさかあの男性がBBの関係者だったとは!
偶然出会ったスタッフからの予期せぬプレゼントに、私の心は二度熱くなった。
感激に浸りながら私はフロントで部屋のキーをもらい、
叔母と一緒に再びエレベーターに乗った。
 
部屋のナンバーは「1633」
ドアを開けた途端、
ベッドの上に置かれた真っ赤なクッションが目に飛び込んできた。
部屋はエキゾチックな雰囲気に包まれており、
マディのブルースが聴こえてきそうだ。
私たちはようやく落ち着いて腰を下ろし、
奇跡とも言える再会を思い起こしながら
遅い昼食を取り始めた。
 
お湯にゆっくり浸かった後、横になって一眠りしようと試みたが、
ライヴのことが気になって眠るどころではなかったので、
早々に身支度をし始めた。
そういえば心残りだったことがひとつある。
それはBBと遭遇した時、
私の顔はほぼノー・メイクに近い状態だったことだ。
それも自宅でくつろいでいる時と同じようなラフな格好をしていた。
なぜシカゴに着いた時、
化粧直しをきちんとしなかったのか・・・
そのことが非常に悔やまれたので、
私はいつもよりメイクに時間をかけた。
 
今回ライヴで着る為に持参した黒のロング・ドレスは独身時代に買ったものだ。
「BBが見てくれますように・・・」とささやかな願いを込めて私はドレス・アップした。
私は日々の生活でほとんどお洒落をしない。
ブランド品にも全く興味がない。
GパンとTシャツが私の定番アイテムで、
スカートはめったにはかなくなってしまったが
今日だけはBBのために着飾りたいと思った。
 
全て用意が整い、ハイ・ヒールを履いてロング・コートを羽織る。
ライヴ会場はすぐとなりだが、
外はこごえるほど寒く強い風が吹いていた。
もしもの時のためにカメラと録音機材をバッグにしのばせる。
 
開場は午後7時半で、
前座バンドの演奏開始時刻はおよそ1時間後。
私たちは7時ごろ部屋を出て、ホテルの出口まで行くと、
ロータリーには車が何台も停車しており、
会場の脇にはすでに長い行列ができていた。
すぐに我々は最後尾につき、
寒さに震えながら会場が開くのを待ったのである。
 
私は叔母に
「そういえば私たち、まだチケットをもらっていないよね。
どうすればいいんだろう?
ここに並んでいる人たちはみんなチケットを持っているのかな?」と話しかけた。
叔母も私もこちらのシステムがよくわからず、
ただやみくもに並ぶしかなかった。
会場の表玄関は開放されているにもかかわらず、
みな裏口のような玄関に向かって並んでいる。
 
すぐ前に並んでいた男性グループが私のことをもの珍しそうに見ながら
「後ろの女、中国人? いや日本人だよ。・・・なのにオレよりデカイ。」
とあからさまに噂していたので、私は気分を害した。
 
ここに並んでいても埒があかないと思い、
私は叔母と一緒に列を外れて先頭に向かい、
分厚いコートを着込んだ警備員さんに声をかけた。
「すいません。私たちはまだチケットを持っていないのですが、
どうしたらいいですか?」
私は困った様子で彼の目をじっと見つめながら質問すると、
彼は私の目の奥をうかがうように
親切に教えてくれたのである。
「こちらはチケットのある人しか並ぶことができません。
表玄関に回ってそこから入場し、
チケットを窓口で受け取ってから並んでください」
 
その言葉にお礼を言い、
表に回って会場に入り窓口に直行した。
クレジット・カードを提示した後、
すでに用意されていたチケットを受け取っていたら
裏口のエントランスが開いて、並んでいた人たちがゾロゾロと中に入ってきた。
二人の係員が観客一人一人の身体に金属探知機を当て、
バッグの中身を入念にチェックしている。
ハウス・オブ・ブルースのセキュリティは思った以上に厳しかった。
その光景を見て、私はすぐさまカメラとMDデッキを置きに部屋に戻った。
 
セキュリティー・チェックを受けた時、
私は花束を没収されるのではないかとハラハラした。
そして恐る恐る係員の女性に
「BBにこのお花をあげても大丈夫ですか?」聞いてみたら、
「それは大丈夫よ!」とニコッとしながら答えてくれたので、私はホッとした。
 
ライヴ会場に入ってまずビックリしたことは、
1階には座席がなく全て立ち見だったことである。
確かに「STANDING ONLY」とチケットには書かれているが、
2階にはいくつも席が用意されており、私のチケットには
「SEAT 104」と印字されていた。
これはいったい何を意味しているのだろうか・・・?


私は落胆しながら「わ〜ごめんね。椅子がない! 疲れるよね・・・
2階に行けば私たちの席があるかもしれないけど、
BBに花束を渡すことはできない。
ここでずっと立っていられる?」と叔母に聞いた。
すると叔母は「ヒールを履いていないし、大丈夫よ。」と快諾してくれたので
「ありがとう! じゃぁ、もっと前の方に行かなくちゃ!」と叔母を促し、
私たちはごったがえす人込みの中を掻き分け、前へ前へと進んで行った。
 
わずかな隙間を見つけては「すみません・・・」と連発し、
とうとうステージの中央、
前から2〜3列目のところまでたどり着くことができたのである。
「このアジア人たちは何様のつもり?」と白い目で見ている人もいた。
私は心の中で「ごめんなさい。どうか許して下さい。
このために日本から来たんですから」と呟いた。
 
ふと気がつけば、ステージ付近には白人しかいない。
寒さを堪えて並んでいた人々の中には黒人の姿もチラホラあった。
だが彼らの姿は2階のボックス席やホールの後ろでしか見ることができず
「いかんともしがたい分離の壁」を私は感じざるを得なかったのである。
もしかしたら彼らは前に行くことを遠慮したのかもしれない。
「厄介なことが起こらないように・・・」と。
 
私と叔母はクレイジーなほど騒々しい人たちの中で、
じっと静かにライヴが始まるのを待った。
斜め右方向を見ると、列に並んでいた時、
私の目の前にいた例の男性グループの一人が
40代ぐらいの彼女と熱く愛を語っている。
客層は20代から60代と幅が広く、
人目もはばからず二人の世界に入っている
カップルもたくさんいて、
その場の雰囲気になじめない私は、
やはり日本人であることを痛感した。
 
そのうち私たちは、
ステージに身を乗り出すように立っていた女性の態度に苛立ちを覚え始めた。
彼女は私たちのことをチラチラ見ながら
隣にいたボーイ・フレンドに
何か耳打ちしているのである。
その後叔母に対して自分の身体をわざとぶつけたりして嫌がらせをしてきた。
彼女の大げさな笑い方とモラルの欠けた態度は、
他の観客からも顰蹙をかっていたほどだ。
 
叔母は日本人だが、海外在住歴が長いこともあって、
外国人に対して毅然とした態度がとれる。
だから彼女に対して
「迷惑だからやめて下さい」と憮然とした表情でキツク言った。
でも彼女はいっこうに態度を改めようとしない。
それどころかますますエスカレートしていく。
叔母の頭にみるみる血が上っていくのがわかり、
怒りが爆発しそうになっているのを私は感じた。
ここで言い合いのけんかが始まったら大変なことになる。
彼女の友達全員を敵に回さなくてはいけないし、
もしかしたら警察沙汰になってしまうかもしれない。
そうなったら今夜のライヴはぶち壊しである。
 
私は叔母に対して必死で説得した。
「叔母さん、お願いだから我慢して。
あんなひどい態度を取られて本当に悔しいと思うけど
BBのためにこらえて。お願いだから・・・」
そうしたら叔母はをグッと怒りを抑えてくれて、
彼女の方を見ないように身体の角度をわずかに変えた。
 
安堵のため息をついたのもつかの間、
今度は別の場所でバトルが始まった。
後ろの方から妙にノリがいい背の高い女性が
ボーイ・フレンドと共にこちらに近づいてきたのである。
そうしてキャーキャー言いながら私の斜め右方向に行き、
強引に割り込もうとした。
驚いたのはそこにいた例の男性、
つまりミドル・エイジのカップルである。
キャリア・ウーマンのごとき雰囲気を持った男性のガール・フレンドは、
若い彼女に対して「割り込まないで」と睨みつけながら注意をした。
 
でも彼女は黙りこくったまま睨み返すだけで
その場から離れようとしなかったので、
その女性はそばにいた彼女のボーイ・フレンドに
「彼女を後ろに連れて行きなさい」と一喝。
気の弱そうなボーイ・フレンドはすぐ女性に謝り、
彼女をなだめすかしながら腕を引っ張って
私のすぐ後ろの位置まで下がったのである。
 
すさまじい女同士のバトルに、
相手の男性は一言も発することができず呆然とその様子を見ていた。
それに気が付いた年増の女性は態度を一変させ、
甘えるような声で
「ダーリン....ごめんなさい。嫌な思いをさせちゃったわね。
けんかをする気はなかったのよ。」
と彼の目をうっとり見つめながら言ったのである。
何とも早い彼女の変わり身に私は舌を巻いたが、
それがこの国の文化なのかもしれないと思った。
 
ライヴ前にこんな気持ちを味わったのは初めてである。
とんだハプニングを目の当たりにして私は意気消沈していた。
早くBBに会って元気をもらいたいと思った。
ようやく幕が上がり、ギターを抱えた青年が一人で登場した時は
これでバトルもおしまいのように思われた。
ところが、今度は私がバトルのターゲットにされてしまったのだ。
 
 
<07・11・10>
 






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